Forest Scape

2002年7月 袋田の滝へ

この文は、横浜に一人で暮らしていた2002年7月、突然一人旅に出かけたときの記録を旧BBSに投稿したものです。向かった場所は茨城県久慈郡大子町。私はそれまで茨城とは特に縁はなかったのですが、数年前に見たある映像の記憶だけを頼りに初めて足を運んだんです。日々の暮らしで大き な無力感を抱えていた私は、昔見覚えのある滝を前にある結論を導きだしたのです。

※2002年当時に掲載したものを一部訂正し原文に沿って掲載してあります。日付は掲載当時のBBS投稿日時です。

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[1] 7月1日 ふと思い付いた旅
[original article: 2002/10/22(Tue) 22:36:00] Menu
引っ越してきて3ヶ月が過ぎ、一人暮らしにも段々慣れてきた頃だった。
しかし大阪に居た頃の自分とのトラウマに毎日悩まされ、
それにテレビもパソコンもなかったためワールドカップが見れなくて悔しい想いの毎日。
そうしているうちに一つの恋も終わり、自分を磨き夢を見つけるために引っ越してきたことすら全く無意味なものになった。
7月になり、夏は目の前というのに気持ちは深く沈んでいた。
こんな歳にもなって何ひとつ夢への目標が見つからず、今まで何のために学校行ったり努力したりしたのか全く分からなくなった。
相変わらず振り返るのは過去の自分。
あの時道を踏み外さなければ…もっと人並みの学生生活を過ごしていれば…なんてことばかり。

そんな俺の気持ちは底に沈んでいても、毎日バイトしてダラダラ暮らす日々はいつも通り変わらなかった。
そんな中、バイトのシフト上急に2連休が入ることが分かる。
7月3日と4日。
いきなり2連休になっても特に予定はないが…しかし今の気分を考えると答えは決まっていた。
一人旅。
逃亡癖が全く治ってない俺にはこれしか思い付かなかった。
行き先なんて別にどこでもいいのだが、行ったことのない場所がいい。
横浜から1泊2日で行ける場所…山梨・奥多摩・伊豆・日光・房総半島などが候補に上がったが、
具体的に見たいものがある訳でもなく、ひっそりと考え事ができそうな場所ならどこでも良かった。
後は海か山のどちらにするかを絞って、いつも通りの行き当たりばったりな旅がいい。

この日は7月1日。あと1日残ってる訳だし行き先は明日考えることにして、
久々に中学の頃によく聴いていたチャゲアスのCDをかけて夜を過ごした。
[2] 7月2日 9年前の田園風景
[original article: 2002/10/24(Thu) 01:34:44] Menu
次の日…この日も相変わらず仕事。
相変わらず気持ちは暗かったが、明日の自分がどこの場所に居るか想像つかないことが逆に楽しみだったりしていた。
今まで行ったことのない場所…そう簡単には思い付かないが、
前日に聴いてたある曲のことを思い出していた。
CHAGE&ASKAの『Sons and Daughters〜それより僕が伝えたいのは〜』という曲。
『YAH YAH YAH』の次に出た曲で、最近は知ってる人は多いかどうか知らないが。
そのPVは日本の田舎の景色の中で撮影されてて、
海外ロケが多かった当時にしては田んぼやローカル線の駅が新鮮に思えたものだった。
そして忘れられないのが滝をバックにして歌う2人。
あの滝ってどこにあるのだろう…

ふとそんなことを今頃になって考え出す。そういえば『YAH YAH YAH』からすでに9年も過ぎたのかぁと改めて思い返す。
確かあの駅の名前は常陸○○駅…名前は思い出せないが、常陸(ひたち)=茨城県で小さな路線の駅ってことはすぐ分かった。
仕事が終わり自宅に戻り、早速シグマリオンを使ってネットで場所を調べた。
そこで分かったのは、水郡(すいぐん)線の『常陸大子(ひたちだいご)』駅という駅名と、
袋田の滝というかなり有名らしい滝の存在。
茨城県なんて全く行く機会がないし、こうして関東に住んでる間に一度は足を踏み入れるのもいいんじゃないかと考え、
ひとまず行き先は茨城県の袋田の滝ということで決定。
この日は『Sons and Daughters』を聴き返しつつ明日の準備をして早めに就寝した。
[3] 7月3日(1) 都会の喧騒からの脱出
[original article: 2002/10/26(Sat) 01:21:52] Menu
旅立ちの朝は比較的のんびりしていた。
荷物の準備をし、最寄り駅から電車に乗ったのは朝10時前。毎日の通勤時間よりも約1時間遅い出発だった。 
横浜市内から常陸大子までの乗車券は片道3570円。
同じ関東でもこんな金額になるのかと、目的地までずいぶん遠いことを予感した。
横須賀線・京浜東北線を乗り継いでまずは上野駅に向かう。
上野駅からは常磐線の特急で水戸まで乗ることにした。
特急料金は自由席で1370円。たった1時間半弱で水戸まで着くなんて便利だなぁと感じた。
そして次の列車までは待ち時間が1時間以上あった。ひとまず途中下車して昼食を摂り、駅の近くをうろうろする。
髪がかなり伸びてきてたのでそろそろ切りに行こうかと思ったが、
良さげな散髪店が見つからなくてあきらめる。
そうしているうちに発車時刻が来て、常陸大子へと向かう水郡線の列車に乗る。
2両だけの列車が水戸の街を抜け田園風景の中を走って行く。
だんだん雨が降ってきて、目的地も雨が降っているかどうか心配になるが、数十分過ぎると森の景色になっていた。
すでに都会の喧騒から脱出した気分になってたかもしれない。
そして大子駅のの手前になると運良く雨が止んでいた。
[4] 7月3日(2) ゆっくりと流れる時間
[original article: 2002/10/29(Tue) 13:43:45] Menu
大子駅に着いたのは14時半は過ぎてたと思う。少しづつ日が差して晴れそうな予感がしていた。
まずは早速宿探し。観光案内所に安い温泉旅館を紹介してもらい、
歩いて10分の所にある旅館にチェックインする。
なかなか落ち着けそうな和室である。テレビを付け、20分ほど昼間の番組を見てのんびり過ごす。
その後荷物を残しカメラと財布だけ持って外へ歩くことにした。
観光客らしき人はほとんど見かけず、のんびりと時間が過ぎて行くような町だった。
旅館の近くには川があって、釣り人達が川魚を狙っている姿をあちこちで見かけられた。
俺は景色を楽しみながら田舎の中を歩くことにした。
駅の近くを通り抜け、水郡線の小さな車庫を横切り、川沿いに田んぼが広がる場所へと出る。
目指すは9年前に見たあの風景。ネットで大体の場所は調べていたのだが、
記憶が曖昧なため昔見た映像のイメージだけが頼りだった。
田園風景を曲がりくねりながら流れる川沿いの堤防を歩く。周りにはいつの間にか人の気配がなくなっていた。
歩きながら度々目に止まった緑の景色をカメラのファインダーで覗き込んだりしていた。
曇り空のところどころに青空が顔を出し、歩き続けている途中に後ろを振り返ってみた。
そこに広がるのは空と山と田んぼの色だけの世界。
ふと感じたのは、まるで9年前の映像の中に来たような錯覚だった。
中学生の頃の自分がテレビで見ていた景色の中に今立っていることがなんだか不思議だった。
正確には分からないがきっと今居る場所がPVで撮影された場所だったに違いない。
実家には確かPVの入っているテープが残っていると思うので一度見返してみたいと思うが、
きっと9年前も今もこの風景はほとんど変わっていないだろう。
しばらくの間懐かしい空気を味わいながらのんびり歩いて過ごした。

いつの間にか夕方になって旅館に戻ることにした。
雲間から見せていた青空はだんだん大きく広がり、明日はきっと好天で期待できるだろう。
夕食を美味しく食べ、温泉に長くつかった後テレビをしばらく見て寝る。
温泉につかったのは久々だったので、今日の疲れはすっかり癒された。
[5] 7月4日(1) 『風 薫 海 航 空 翔』
[original article: 2002/11/01(Fri) 01:14:57] Menu
旅2日目。この日は朝7時半頃に目覚める。
他の宿泊客よりは少し遅めの朝食をいただく。
旅館の近くを流れる久慈川で釣れる鮎の塩焼きがとても美味しかった。
朝風呂に入り爽快な気分なまま宿を後にすることにした。
この日はすっかり晴れて、とても心地よい一日になりそうな予感がした。
早速袋田の滝を目指そうかと思ったのだが、
その前に長く伸びた髪を今すぐにでも切りたくなり、町の通りにある理髪店を見つけ入ることにした。
9時半頃だったので客は自分一人しか居なくて、
髪を切ってもらっている間ずっと店の人と話をしていた。
30代くらいの男の人だったが、どこで大子町の存在を知ったの?とか、
今の自分の仕事のこととか、地方による文化や方言の違いとか
いろんな世間話で盛り上がっていた気がする。
俺はどうやら見知らぬ土地に行くと現地の人と話をするのが好きらしい。
切り終わった後もコーヒーを頂きつつさらに1時間ほど話をしていたりノ
自分が大阪出身という話をしていたら、長野の斑尾高原スキー場が関西弁を話す大阪人だらけで居づらかったという話に変わってたり、
茨城や近隣県と東北との方言の違いの話題がいつの間にかモー娘。高橋愛の福井弁の話に進展してたりでなかなか面白かった。
結局2時間ほど居座っていて、徐々に来客が増えてきたので店を後にして滝へ向かうことにした。

俺が大子へ行った7月には無料の巡回バスが走っていたので、
駅からそのバスに滝まで乗せてもらった。確か約6〜7分で着いた気がする。
いよいよ袋田の滝を目の当たりにする時が来たのだ。
滝の方角には大きな岩山がそびえ立ち、深い谷間の中に袋田の滝があるらしい。
バス停からは10分程歩けば辿り着くらしい。
日本三大名瀑の一つと言われているだけに観光客があちこちに見かけられた。
滝へ向かう道には土産物屋や食事処が数件並び、
その道の先には滝見物用トンネルの入り口がある。
この先は有料で300円のチケットを買えば中に入ることができる。
数百メートル先に滝があり、すでに滝の落ちる音が湿気とともにトンネル中鳴り響いている。
瀑音の鳴る方向には展望所があり、一歩ずつ進んで行く。
そしてトンネルを抜けた時、ついに探していたあの光景が目の前に広がったのだ。

そこには眩しく太陽に照らされ大量の水が叩き落ちる滝の姿があった。
滝は数段にも重なる岩を覆いかぶさるように落ち、独特の景観を創り出していた。
俺はしばらく滝をじっと眺めることにした。
まず思い描いたのは『Sons and Daughters』を歌う2人の姿。
9年前撮影されたのはまさにこの場所であり、その場所に立っているという事実を受け止めるだけでも感動的だった。
その後自分の9年間の出来事や横浜に引っ越してきてからのことを思い返していた。
こんな歳になっても夢なんて何も見つけられなくて、数カ月間の俺は毎日悩み込んでばかりだった。
でも滝の流れを見ていると淀んだ心が洗い流されていくような気がした。

そして俺は思った。
あの頃の好奇心旺盛だった自分の感性をもう一度信じてみよう。
もし今も大阪に住み続けていたら、袋田の滝に足を運ぶことは一生なかったかもしれない。
自分が今この滝を前に立っているのは、まるで9年前の自分に呼ばれて辿り着いたと言っても変じゃないだろう。
あの頃の自分は非常に好奇心旺盛だったが、周りを意識した結果自分を抑え込み過ぎたことで何一つ行動を起こせなかった。
でもあの自分が居たからこそ今の自分には誰にも真似できない感性が潜んでいるはず。
何か深く落ち込んだりしてすぐ旅に出ようとするのは俺の典型的な行動であって、
自分探しという目的の中こうして些細な一人旅という一つの行動を成し遂げた訳である。

結論。
地球の中の小さな日本にもまだ見ぬ景色が数えきれないほどある。
もっと長い旅の中で出会いや経験を重ね、
誰にも味わえない自分だけの人生を歩いていたい。
ここが新たなる旅の出発点だ。

そう悟った俺は滝を後にすることにした。
[6] 7月4日(2) 新たなる旅へ
[original article: 2003/12/07(Sun) 22:27:02] Menu
結局1時間ほど滝の前に居ただろうか。
時間は昼過ぎになり、そろそろ昼食を食べることにした。
入ったのは土産物屋通りにあるうどん屋。
そこで老夫婦に声をかけられ、どうやら滝に向かう同じバスに乗っていたとのことである。
確かにお二人は同じバスに一緒に乗っていた。
そんな話をしていたら、前日に上野から水戸まで同じ特急に乗っていたことも分かった。
度重なる偶然も何かの縁ということで、俺も同じ机にお邪魔させてもらいうどん(定食だったと思うが記憶が曖昧)を注文することにした。
どうやら川崎から来られたらしくて、自分が横浜市某所に住んでることもあって話は盛り上がった。
老夫婦はもう一泊するとのことで、しばらく話した後バスの時刻が近付くと先に店を出て行った。
俺は横浜に帰るにはまだ早いので、もうしばらく店でのんびりすることにした。
その後も店のおばちゃん達に地元の話を聞いたりして時間を過ごした。
自分はずっと田舎暮しに憧れていることや、今の仕事の話題を話したりしていた。
そんな中地元に住んでいる陶芸家の方が作った皿を見せてもらっりした。
葉っぱを実際に表面に埋め込んだような陶器で、小さな作品でも数千か数万円するとのこと。
深緑色(だったと思う)のなかなか良さげな作品だった。
話の間には漬け物や刺身こんにゃくをサービスしてもらったりした。
この醤油をつけた刺身こんにゃくの味が今でも忘れられない。
うどんの記憶が曖昧なのは刺身こんにゃくの印象が強いという理由は否めないだろうな。
結局3時間近く居たかもしれない…相変わらず俺は話好きなのかも。
バスの時間が来たので最寄りの袋田駅から横浜に帰ることにした。
バスを一緒に待っていたお母さんと子供が水郡線の途中駅まで一緒だったので、
また話をしつつ列車に乗ることにした。俺がこれから横浜市内まで乗ると言うと驚いていた様子だった。
そのお母さんのお父さんが定年後に沿線に家を建て移り住んだらしく、
今の時期だけ里帰りをしているらしい。
やはりこの辺りは都会と違って自然がたくさんあって心地いいと話していた。
しかし買い物となると一駅先まで行かなければならず、夜終電が終わった後は1時間ほど歩かなければならないとのことである。
話を聞いていると、田舎暮しは都会では味わえない経験がたくさんある反面、都会の生活をそのまま持ち込むことは難しいだろうなぁと感じた。
30分ほどで止まった無人駅で親子は降りていった。

再び列車は走り出し、一人で窓を眺めながら考え事をしていた。
もし今後自分が田舎暮しを始めるのなら、今の生活からいくつか切り捨てなければならない部分が避けられないのは当然覚悟しなければいけないだろう。
それでもその不便さに替わる魅力が田舎には待ち構えてる気がするし、
視点を変えれば田舎こそ都会よりもクールで最先端な場所と見ることもできなくはないと言えるかもしれない。
そんなことを考えているうちに列車は田園風景が広がる平野部を走り抜け夕方には水戸へ到着し、常磐線の特急に乗って横浜へ戻ることにした。
こうして次の日からはまた新たなる長い旅が始まったのである。

あれから4ヶ月経った訳だが、振り返ってみるとあの2日間で自分にとっての道しるべを与えられた気がしている。
春からの放浪生活は2〜3年で終わらせる予定だったのだが、
最近は一生打ち込めそうな仕事・活動に出会うことでもっと早く終わらせようなんて考えることがある。
生きた証拠をどんなものでもいいから形として残したいし、そのためには今動くことが必要で、
考えるだけで立ち止まるよりも動く中で失敗を重ねていった方がきっとプラスになる。
自分が創る作品を大衆に発表してみたいというのは長年の夢なのだが、
インターネットも普及している世の中だし決して東京中心である必要は無いなとつくづく思う。
この冬の間に次の目的地を探し、来年には更に理想に近付けるように行動を起こしていこう。


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