Suminoe Sounds

エーストーン/日本ハモンド (ACE TONE/NIHON HAMMOND)


私は80年代に大阪市住之江区に生まれ、大和川に近い区内の団地で育ちました。89年春に同じ市内の新居(現自宅)に引っ越すまでの間ここで幼少時を過ご していました。この地域は、元々は古くからの埋め立て地だったのですが70年代から団地が進出し、幼き日々を過ごした80年代当時はまだ畑や空地も至る所 に見られるような開けた所でした。海にも近く開発途上の地域ということもあって、建物の間隔も比較的ゆとりがあった記憶があります。近所には住之江競艇開 催時に備えた駐車場敷地が広々と取られていたり、大阪市交通局のバス車庫(現在のオスカードリーム)も当時は広々とした敷地だったために、自宅周辺を歩く とほとんどの場所から青空が広く眺めることのできたイメージがあります。
当時5歳の私はとても体が弱く喘息持ちで、指の握力が弱かったためにペンを握ることも難しかったような子どもでした。そんな私を見た両親は指の力を付ける ためにはピアノを弾くのがいいんじゃないかと言い、幼稚園の後毎週水曜日にレッスンを受けることになったんです。住んでいた団地の近所にはローランドの本 社が当時ありましたが、同じく家のすぐ近くにはもう一つ別の楽器メーカー、日本ハモンドの本社工場がありました。私はその敷地内の建物の地下にあった教室 に通っていました。ここに通っていたのは86年に工場が移転するまでの約半年間でしたが、小さな窓から光が差し込む半地下の広い部屋にオルガンがたくさん 並べられていて、その中に教室ブースがあったのを覚えています。部屋の様子はまるでショールームのような雰囲気があったのをかすかに覚えています。幼い私 はピアノなんて男の子が習うもんじゃないと思ってたこともあり積極的ではなかったんですが、教室に通うにつれて一曲弾き終える度に嬉しかったのを覚えてい ます。レッスン時には五線譜ノートを渡されて適当に音符を書いて並べていた記憶もありますが、おそらくそれは私にとって生まれて初めての作曲に他ならない んでしょう。今から思うとこの工場は私が生まれて初めて本格的に楽器に触れた場所と言えるかもしれませんね。日本ハモンドはその後浜松に移転したんです が、その後の会社のことは全く知らずに私は近所の移転した教室にその後3年程通い続けました。

話はそこから99年頃に少し飛びますが、私は一時期友人とバンドを組む話を進めていたんです。ある日友人から電話があり、古い貴重なギ ターアンプを入手したとのことで私は彼の自宅に向かい見せてもらったことがありました。それは『ACE TONE(エーストーン)』という初めて耳にするブランドの製品で、これは日本製なんだけども現在このメーカーは存在していないことを知りました。友人は ある会合の際に大人の人から譲ってもらったそうなんですが、今ではプレミアが付いて十万単位の値が付くかもと聞かされたらしいんですが無理を通して譲って もらったそうなんです。『SOLID ACE』という機種だったのですが、ギターを繋いで鳴らしてみたら、あまりにも透明な音でアナログリバーブがとても心地良かったんです。私はその時このア ンプにエフェクターを繋いだらきっと更に味のある音が鳴るんだろうなぁと感じました。あの時のクリーントーンの印象は今でも強烈に覚えています。その日友 人宅にてネット上でACE TONEのキーワードを調べたんですが、99年当時はキーワードが一切何ひとつ出て来ませんでした。この当時はまだ誰一人ネット上で触れられていない位と ても貴重なメーカーなんだろうとその時友人と私は話しました。私は彼に譲ってくれと頼んだんですがもちろん断られ、友人宅に遊びに行く度にこのアンプが置 かれてあるのを気にしていましたね。
それ以降、外に出かけた時に古い喫茶店や中古楽器店などでACE TONEと書かれたスピーカーや機材を見かけたことが何度かありましたが、その度にどんな音が鳴るのか気になっていたことを覚えています。それだけ SOLID ACEのクリーントーンの印象が強かった証拠なのかもしれません。その後インターネットが普及するにつれて情報を得る機会が増え、数年後改めて商品検索 キーワードでふと『ACE TONE』と入力してみると、知らないことが次々と分かりました。そして一つ重大な事実に辿り着いたんです。それはACE TONEこそが、あの私が幼少時にピアノを習っていた日本ハモンドの前身だったんです。最近まで私は同一の会社だったことすら全く知りませんでした。後に なって分かった時は本当に驚きましたね。けれども私があの時友人のSOLID ACEを無意識に気に入った理由が何となく分かった気がして、そこからACE TONEの音を手にしたくかつての実機に興味を持ち始めたんです。
その後私は当時の資料を集めてエーストーン/日本ハモンドがどんな製品を作っていたのか、私が生まれる前の住之江の土地背景も踏まえて当時の状況を調べる ことにしました。親が言うには、同じく住之江で創業したローランド以前にはエース電子という楽器メーカーがあり、エースがローランドになったとのことでし た。けれども、ローランドと私がピアノを習っていた日本ハモンドとの関係が自分の中では別会社だと思っていました。親は日本ハモンドもローランドの関連だ と言っていたんですが、どうやらそれは半分正しいと言えるけれどもハモンドにとってはちょっと微妙な関係だったことが調べていくうちに分かったんです。

エース電子工業株式会社(Ace Electronic Industries Inc.)は、1960年に大阪の阪田商会などの出資により後にローランド創業者となる梯さんが大阪市住吉区(現在の住之江区)の地で創業されました。 エーストーンの原点は、日本初の電子発振式オルガンを完成させたことにあります。当初は松下電器のOEM製品としての製造から始まりましたが、その後エー ストーンのブランド名で発表された電子オルガンTOPシリーズは日本だけではなく海外にも輸出されたそうです。エーストーンは新しい発想で次々と電子楽器 の分野に新製品を送り込んでいきました。60年代後半はThe Beatlesのブームから日本でもグループサウンズ(GS)ブームが起き、エレキギターを手にする若者が増える度にACE TONEの名は大きく知れ渡り、当時は電子楽器専門メーカーとして日本有数の存在になっていたそうです。エレキブームでギターアンプが有名になったのを始 めとして、『Rhythm Ace』という世界初のリズムマシンを生み出したり、日本初の歪み系エフェクター『FUZZ MASTER』を製品化したのもこの会社であります。しかし資本面において何らかの問題が起きたことをきっかけに梯さんは自ら設立されたエース電子を退社 され、同時期共に退社したメンバーを中心に72年ローランド株式会社を設立されました。
エース電子は自社ブランドエーストーンを手掛けるだけでなく、アメリカのHAMMONDと資本関係において提携しハモンドインターナショナルジャパン株式 会社という合弁会社を設立しました。ハモンドインターナショナルジャパンはアメリカHAMMONDの日本における輸入代理店としてオルガンの輸入を手掛け つつ、エース電子では日本製HAMMONDブランドとしてオルガンを製造し海外供給していたこともあったそうです。そのハモンドインターナショナルジャパ ンこそが、後に私が出会うことになる日本ハモンド株式会社(Nihon Hammond Ltd.)となるのでした。最近私が入手した75年4月時点での製品カタログには『ACE TONE by 日本ハモンド』としっかり表記されていて、なんと日本ハモンドがエーストーンブランドを引き継いでいたことが分かったんです。おそらく創業者の梯さんが退 社された70年代前半に発生したエース電子における出資比率変動による混乱が契機となり、その結果日本ハモンドがエース電子工業を吸収・再編に動いたので はないかと推測されます。再編についての正確な時期や経緯の詳細は現時点では不明です。
日本ハモンドとなった後も70年代から80年代にかけて、電子オルガンを中心とした独特な電子楽器メーカーとして住之江を拠点に製品を発表していました。 種類の充実していた電子オルガンを中心に、リズムマシンやギターアンプ・エフェクターなどをエーストーンの流れを継ぐ形で手掛けていました。70年代暮れ にはBossコンパクトペダルの登場と同時期に、異質のコンセプトを持ったコンパクトエフェクターシリーズ『Big Jam』が発表されていました。ギター向けブランド『Jugg Box』シリーズで手掛けていた真空管アンプはトランジスタが普及していた当時では日本で数少ないシリーズだったそうで、80年代においても真空管を通す の暖かさにこだわり続けていた姿勢が伝わってきます。そして82年には日本初の完全デジタル方式によるパーカッションマシーンDPM-48を発表しまし た。それはテクノブームで一世を風靡することとなったローランドのリズムコンポーザーTR-707・909以前だったんです。当時は目と鼻の先に創業した ローランドを意識していたかのような製品展開だったようにも見えます。
しかし86年住之江から浜松へ移転後、日本ハモンドは消息不明となってしまいます。90年代前半に日本ハモンドが消滅していた事実を私が知ったのはつい最 近でしたが、おそらくハモンドは80年代後半一挙に訪れたデジタル化の波に勝てず経営に行き詰まってしまったんだろうと想像できます。CPUシーケンサー やMIDI規格の提案など音楽シーンに数々のデジタル化の波を起こしたローランドと反対に、日本ハモンドがデジタル楽器を手掛けていた話はそういえば昔か らあまり聞いたことがなかったですからね。幼少時にピアノで関わりのあった日本ハモンド、そして今の自分が改めて興味を向けさせてくれたACE TONEが既に過去のブランドとなってしまったのは寂しい気持ちがあります。
現在HAMMONDブランドの代理店は浜松に本社を有する株式会社鈴木楽器製作所となっていて、関連会社には1994年に設立されたハモンド・スズキとい う会社もあります。詳細は存じていませんが、HAMMOND製品取扱が当時の日本ハモンドから鈴木楽器へと移った間に何らかの関係があったんだろうと思わ れます。


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